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SPECIAL CONTENTS 01研究者探訪04

若本 祐一
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東京大学大学院総合文化研究科教授 YUICHI
WAKAMOTO
若本 祐一

2006年 東京大学大学院総合文化研究科博士課程 修了
2022年より現職
研究内容
一細胞計測を用いた細胞の適応や進化の理解
[質問1]

なぜ研究者になったのか

 「定め」という答えじゃダメですかね(笑)?自分が生まれ育った環境、自分の興味、恩師や友人といった色々な要因がLong-rangeに効いている気がして、これだと答えるのは結構難しいです。

 研究の原体験としては、小学校の自由研究だったのかもしれません。1年生のとき、メダカの観察をしたのですが、メダカを飼っていた水槽の中で水草から貝が大発生したのです。買った水草に卵が付着していたようです。なんじゃこりゃとなって、2年生、3年生のときはその貝(サカマキガイ)の自由研究をしました。身の回りの不思議に対し「よし自分で調べよう」となるマインドセットは、その頃の両親に植え付けられたのだと思います。今でこそ難しい専門用語も使って研究してますが、ベースはそのときのまま変わってない気がします。

 職業としての研究者を意識するようになったのは、大学に入り、当時の基礎科学科(現在の統合自然科学科の前身)に進学して、研究室という研究現場に出入りするようになってからですかね。私の指導教員だった安田賢二先生の着想力や、同じ学科の金子邦彦先生の生命観に触れて、心の底から、これこそ自分のやりたいことだと思えたのは大きかった気がします。そこで「研究者になる」という覚悟ができました。
[質問2]

研究生活

 我々の研究室では、皆めいめいが主体的に研究を進めてくれているので、自分が日常的に口を出すことはあまりありません。私も昨今の大学教員の噂に違わず研究時間は削られがちですが、週1回のラボミーティングと、同じく週1回行っている小グループミーティングは大事にしています。そこで研究結果を細かく議論したり、問題解決の方策を考えたり、ときには(いやしばしばですね)話が脱線して、ひとつの結果のかなり先にある可能性に思いをめぐらせたりするのは本当に楽しい時間です。 欲を言えばもっと自分で実験をしたいですね。全く予期していなかった結果に出くわし、おそらく誰も見たことないであろう景色に触れる喜びや、それまでの断片的な結果が一つに繋がって見えたときの「アハ」体験は、やはり中毒性があります。
若本 祐一
[質問3]

UBIの研究への関わり

 先にも触れましたが、私は当時の基礎科学科に進学し、20世紀COE「複雑系としての生命システムの解析」にも学生として参加させてもらいました。今でこそ「細胞を創る」といった話を当たり前のように耳にしますが、このプロジェクトの定例ミーティングで「細胞を創る」とか「多細胞生物を単細胞生物から創る」といった話を、当時の錚々たる先生方が真剣に議論している場を目の当たりにして、そんな研究があるのかと感動した記憶があります。

 その頃、毎週お昼休みに、プロジェクトに関わる研究室の学部4年生や、修士1年の学生が、お昼ご飯を食べる金子さんを前に研究発表するという会がありました。研究者としてまだまだ本当に未熟だったにも関わらず、毎回金子さんが真剣に話を聞いてコメントをくれていて、研究者の一員になった気がして嬉しかった記憶があります。自分がPIになった後から知ったことですが、その会は金子さんの周りでは「ひよこ会」と呼ばれていたらしいです(笑)。でもそうやって育ててもらったことに感謝しています。
若本 祐一
[質問4]

学生(学部生)に向けてメッセージ

 まだまだ研究者としては若手だと思っているので科学の歴史を語るには分不相応ですが(何年か前に、とある学生さんに「そろそろ若いのは名前だけになっちゃいますね」と言われましたが)、ポスドク時代の恩師の一人が、こう言っていたのが印象に残っています。 「昔はできることが少なかったから、できることをやることがやるべき研究になった。今はできることが増えすぎて、やるべき研究を見つけるのが難しい。」 確かに自分が研究室の扉を初めて叩いてからわずか四半世紀の間にも、生命科学分野で測れることや得られるデータの量はものすごく増えています。その一方で、生物の見方、考え方という根本的なところはそんなに大きく変わっていない気がします。もしかすると、次の大きな生命科学のパラダイムシフトを起こすのは、今の学生の皆さんの世代かもしれません。 UBIには色々な観点・アプローチのもとで生命の本質に迫ろうとしている研究者がたくさんいます。そういうことに興味がある人は、ぜひUBIのどこかの研究室の扉を叩いてもらえればと思います。